Feb 09, 2017

コラム21

藤村俊二さんと藤井青銅の関係とは・・・

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 ぼくなんかが「オヒョイさん」と呼んでは、失礼にあたる。でも、たった半年間だったが、オヒョイさん(藤村俊二さん)の番組を担当できたのが、嬉しい。

「シネマ・メゾン」という番組だった。2007年。ニッポン放送。
 ラジオだが映画を扱うという企画は、一体どこから来たのか? まあ、オヒョイさんが有名な映画館主のご子息ということもあったのだろう。ワイン・バーのオーナーとしても有名だったので、訪れたお客さんにいろんな映画を処方する「シネマ・ソムリエ」という役柄を、考えた。

もちろんぼくも、子どもの頃から、オヒョイさんはいろんなテレビで見ている。が、お会いするのは初めてだった。世間のイメージ通りで、亡くなったあと多くの方が語っているように、飄々として気取らず、気さくで、カッコイイ方だった。
 たいていの方は、
「ゲバゲバ90分、見てました」
 とか
「8時だョ!全員集合の、振り付けやってらしたんでよね?」
 という話をするのだろう。あるいは「なるほど!ザ・ワールド」とか、「ぴったしカン・カン」とか…。
ぼくもそういう番組は見ていたが、その話はあまりしなかった。実は「あの番組のオヒョイさんが好きでした」というのが別にあったからだ。が、それを言うべきがどうか、数週間迷っていた。

 というのは、それはテレビドラマで、別にオヒョイさんが主役ではなかったからだ。「2丁目3番地」。主役は石坂浩二さんと浅丘ルリ子さん。主題歌「目覚めた時は晴れていた」を生んだことでも有名だ。
 ぼくはこのドラマがとても好きだった。のちに、倉本聰さんの脚本集も買って読んだ。ぼくが中学生から高校生になる頃だ(同じ頃、NHKの「天下御免」というドラマも好きで、これものちに早坂暁さんの脚本集を買って読んだ。この頃からなんとなく、こういう世界を作る側に回りたいなあ…と思っていたのかもしれない)。
「2丁目3番地」は、ドラマの舞台である美容院の天井に、なぜか二階から足がドーンと飛び出てくるシーンがあって、これを鮮明に覚えている(ドラマ全体の中でさほど重要なシーンでもないと思うが、なんでこんなものを覚えてるんだか…)。

 オヒョイさんはこのドラマの脇役だが、脇とはいえ、目立っていた。ちょっとオネエ言葉で飄々とした青年役(いま確認すると、当時36歳)。イメージ通りの役柄だ。
 数週間迷ったが、毎週お会いしているうちに、ぼくは結局それを言うわけで、遠慮がちに「実は、2丁目3番地というドラマが好きでした」と言うと、「あれはいいドラマでしたねえ」とニッコリ微笑んでくれ、とても嬉しかった。

 こうして始まった「シネマ・メゾン」という番組だが、惜しまれつつ半年で終わることになる。だが、その最終回、ちょっと変わったイベントを行ったのだ。

 

お知らせ

 

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(タイトル未定/新潮社より2017年3月末発売予定)

 

2015年7月~2016年6月(01大瀧詠一~96チェッカーズ)から厳選したコラムが掲載されます。
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この機会に再読の上、ぜひ藤井青銅公式twitterにてご投票ください。

藤井青銅

藤井青銅(ふじいせいどう)
23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。

書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」「あなたに似た街」「【悲報】本能寺で何かあったらしい……光秀ブログ炎上中! 歴史Web2.0」…など多数。

藤井青銅著「ラジオにもほどがある」(小学館刊)
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