Jan 13, 2019 column

大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』 撮影現場に行ってみた。

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松尾スズキさん、森山未來さん 明治の寄席の撮影現場は熱気にあふれていた

大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』は、日本で初めてオリンピックに参加した男・金栗四三(中村勘九郎)と、日本にオリンピックを呼んだ男・田畑政治(阿部サダヲ)の物語で、1912年のストックホルム・オリンピックから、32年のロサンゼルス・オリンピックや36年のベルリン・オリンピック、40年の幻の東京オリンピックと戦争を経て、ついに64年、東京オリンピックが実現するまでの激動の52年間を、落語の神様もしくは大名人・古今亭志ん生(ビートたけし)の落語『東京オリムピック噺』として語るという趣向になっている。

志ん生は、1月6日(日)放送の第一回から登場し、嘉納治五郎(役所広司)が金栗に出会う噺を寄席で披露。みごとなサゲで第一回を終えた。

明治42年、嘉納のもとにオリンピック参加の話が舞い込んできたこの年、浅草には志ん生もいた。本名は美濃部孝蔵(森山未來)で、落語に出会っていない。青年時代を浅草の街でふらふら過ごしていた。知り合いの人力車夫の清さん(峯田和伸)はのちに羽田で開催される国内初のオリンピック予選会にも飛び入りすることになる。

清さんも孝蔵も、裕福ではないが、たくましく生きる庶民のひとりとして描かれている。

ドラマの語りは、この若き志ん生の森山が担当し、時に、昭和の志ん生と時空を越えてやりとりするところも面白かった。

第二回では、孝蔵がのちに志ん生になるきっかけとなる運命の出会いが待っている。師匠となる橘家円喬(松尾スズキ)の落語を見て心を突き動かされるのだ。その重要なシーンの撮影を昨年、見学することができた。

2018年4月中旬。4月上旬に熊本ロケでクランクインし(4月から撮影していたのだからすごい)、東京でセットでの撮影がはじまったばかりの頃だった(クランクイン後しばらくはNHKではなく別スタジオで撮影していた)。

そこに建て込まれているのは明治の浅草の寄席。通常のセット撮影は演劇公演でよく見るなプロセニアム・アーチのように、片面が空いていて、そこからカメラで撮ることが多いが、この寄席はホンモノの建物のようにしっかり天井もあって壁も四方あり、撮影となると壁で完全に覆ってしまい、外から中をのぞくことができない。

なかなか広い寄席とはいえ、エキストラの観客(男性45人、女性25人)やお茶子や下足番役の人が客席を埋めてしまうので、最小限のスタッフしか中に入れない。二階にバルコニー席があって、撮影前はスタッフがうろうろしているが、本番になると観客が座るのでやっぱり居場所がない。皆、外に出されたモニターに映し出された画を見ていた。カメラは4カメで、高座の上と客席に分かれてあらゆる方向から映す。

チーフ演出の井上剛さんのみならず、大根仁さんもいた

この日の午後の撮影は、橘家円喬が落語『付き馬』をやっているところへ、たまたま孝蔵が入って来て思わず魅入ってしまう場面。まずは、孝蔵のいないシーンを撮影。エキストラ(一般公募で選ばれた人たち。なんと知り合いが参加していたことをあとで知って驚いた)を順々に中に入れ、客席を埋め、スタッフが状況を説明、松尾スズキさんが高座に上がって、カメラテストなどをする。松尾さんの落語に客席が笑う。

「いいリアクションだったら(カメラ)回しちゃおうか」

演出の井上剛さんは、客席の新鮮な反応を重視し、テスト中でもいつの間にか撮影をはじめてしまおうと判断したようだった。

『あまちゃん』『その街のこども』などの演出を担当している井上さんは、ドキュメンタリーのような生々しい映像に定評がある。今回は現代ものではないが、その時代に生きている人をしっかり捉えようとしているように感じた。

松尾さんの落語はスピーディかつなめらかで聞きやすい。松尾さん自身は名優とはいえ、落語家ではないから、孝蔵を虜にするほどの落語家を演じるのは大変だろう。

寄席のセットは出入り口とその前の町並み(赤ちょうちんと柳)も作ってある。夜の設定なので外に当たるスタジオ内は電気が消されていて暗い。

本番前、その一角の暗がりにこそっとひとり座って集中していた森山さん。「ここにいたのか」と井上さんが見つけて打ち合わせをはじめた。

いよいよ、孝蔵が落語を聞く場面。孝蔵が、寄席の外から風のように入って来て、飲んだり食べたりしながら楽しんでいる客たちの間をすいすいと縫って少しだけ前に。落語を聞いているうちに、瞳がぐいぐいと円喬の落語に吸い込まれていく様子を、森山さんが鮮やかに演じる(この流れを何回かに分けて撮影した)。

一話では、いかにも浅草のフーテンらしくだらだらとしている画も多かった孝蔵だが、二話のこの場面では鋭さを存分に出していた。とにかく落語を聞いて反応している表情が情感豊かで、見ているほうの感情も湧き上がっていく。

古今亭志ん生については諸説あって、描かれるエピソードが真実かどうかは確かではないらしい。

ガイドブックによると、この場面を、宮藤官九郎さんは、松尾さんと宮藤さんの出会いと重ねて書いたような気がすると松尾が語っている。

宮藤さんは松尾さんの主宰する劇団・大人計画に入り、初期は松尾さんの演出助手をやっていた。人生を変える師匠に出会う奇跡のような瞬間は大なり小なり誰もが経験したことがあるだろうが、いま大河ドラマ『いだてん』を書いている宮藤さんが松尾さんと出会ったからこそいまがあると思うと胸が熱くなる。

できたら演目の最初から最後まで神のような松尾さんの落語を聞きたかった。30分以上あるのでそれをやったら第二回がほとんど『付き馬』で終わってしまうから仕方ない。第二回のメインは金栗四三の熊本のお話なのだから。

『モテキ』『バクマン。』など人気作を手がける大根仁が参加することも『いだてん』の注目ポイントのひとつで、大根も撮影を見学していた。

クランクインしたばかりということもあって、緊張感と熱気がスタジオ中を満たしていて、力のあるドラマになりそうだと確信できた。

第二回 「坊っちゃん」は1月13日(日)放送 金栗四三が東京に出て来る前、故郷・熊本での青春時代を描く。

寄席のセットについて、美術スタッフの方に伺いました【新規追加】

──とてもしっかりした作りの寄席のセット。詳しいことを広報スタッフの方を通して美術スタッフの方に伺いました。

Q. 実在した寄席の再現なのでしょうか。

A. 再現ではなく、戦前のさまざまな寄席の資料を集めてデザインしました。明治時代の寄席は関東大震災前の東京の寄席の特徴を盛り込んでいます。高座が四角くなっていて、間口12.0尺、奥行き9.0尺、高さ3.0尺が決まりの寸法だったそうですが、『いだてん』の高座は演出上 高さを2.5尺におさえています。 機材・人が乗っても大丈夫なよう、かなり頑丈に作りましたが、本建築とは違って、ばらばらに分解・パーツ保管が可能になっています。基本はスギ材で、要所で凝った材料を使っており、長押がツガ材、高座はヒノキ床です。通常、セットは3日間で建てかえていますが、寄席セットの初回は、一週間かけてスタンバイしました。

Q. 明治の寄席のセットに電灯がありました。当時もあったものでしょうか。

A. 寄席についてご指導いただいている橘右樂師匠によると、ランプや電灯はお客様を呼び寄せる格好の宣伝材料だったそうで、かなり早い段階で寄席に導入されていたそうです。

Q. 昭和の寄席との違いはありますか。

A. 明治時代、緞帳は御簾で、高座上には金物の火鉢があり、鉄瓶がかかっていました。下手に音曲師はいたそうですが、出囃子、めくり、見出しはありません。もちろんマイクも無し。寄席の隣ではお寿司屋さんが必ず営業していたそうで、出前を取って落語を聴いていたとか。 関東大震災後の寄席では出囃子とめくりが取り入れられ、高座の形状がハの字に変化します。(音声がよりよく拡がるため)これらの工夫は関西から輸入されたそうです。

Q. 一話を見ると、昭和の寄席には天井画がありました。ああいうものが実際あったのでしょうか。

A. 実際の寄席にはありません。高座によくかかる演目を絵にしました。参考にしたのは熊本・八千代座です。ドラマ内で落語の演目を取上げる際、映像的な演出に使えるよう考えたアイデアです。

取材・文/木俣冬

作品紹介

大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』

NHK 総合 日曜よる8時〜 脚本:宮藤官九郎 音楽:大友良英 題字:横尾忠則 噺(はなし):ビートたけし 演出:井上剛、西村武五郎、一木正恵、大根仁 制作統括:訓覇圭、清水拓哉 出演:中村勘九郎、阿部サダヲ、綾瀬はるか、生田斗真、森山未來、役所広司 ほか

木俣冬

文筆家。著書『みんなの朝ドラ』(講談社新書)、『ケイゾク、SPEC、カイドク』(ヴィレッジブックス)、『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』(キネマ旬報社)、ノベライズ「連続テレビ小説 なつぞら」(脚本:大森寿美男 NHK出版)、「小説嵐電」(脚本:鈴木卓爾、浅利宏 宮帯出版社)、「コンフィデンスマンJP」(脚本:古沢良太 扶桑社文庫)など。 エキレビ!で「連続朝ドラレビュー」、ヤフーニュース個人連載など掲載。 otocotoでの執筆記事の一覧はこちら:[ https://otocoto.jp/ichiran/fuyu-kimata/ ]