Nov 16, 2016 interview

壮絶な“殺し合い”のために完璧な役作りで臨んだ二人。映画『聖の青春』松山ケンイチ&東出昌大 ロングインタビュー

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伝説の棋士・村山 聖が将棋に生き、将棋に懸けた29歳の人生を描いた『聖の青春』が映画化。「燃え尽きた」というほど聖役に命を注ぎ込んだ松山ケンイチ、村山のライバルと言われた名人・羽生善治をクセや仕草までそっくりに演じた東出昌大の対談は、その熱量の高さがヒシヒシと伝わってくるものだった。

 

自分の限界を超えた景色を見たかった

──松山さんはご自分から出演を熱望されていたということ、東出さんはもともと羽生善治さんの大ファンということで、本作の出演が決まった時の感想を教えてください。

松山 もともと30代に入る時に、全身全霊を捧げて役を作れるような作品に出会いたいという想いがあったんです。大河ドラマの『平清盛』ではそういうことができたし、自分の中で限界を超えたところの景色が見えた作品だったんですが、もう一度、そういう体験がしたかった。『平清盛』よりももっともっと先に行きたくて、そういう役を探していた時に、まさにこの役に会ったんです。原作を読んで、すごく心を揺さぶられたので自分からアプローチして。選んでいただいた時は覚悟して、行くところまで行くために、常に聖のことしか考えていなかったです。

──原作を読んだ時、映画化が進んでいるという話はご存知だったんですか?

松山 いえ、知らなかったんですが、絶対映画化した方がいいと思っていました。聖の生き方や真摯な想いはたくさんの人に何かを与えて、心を動かすことができると思ったんです。いろいろリサーチしていく中で、もう何年も前から映画化の話が動いていると知って、立候補させていただきました。

 

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東出 僕は、『3月のライオン』を読んで将棋に興味を持ったんですが、同時期に羽生先生と森内(俊之)先生の『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)を観て、何て凄い世界があるんだろうとびっくりして。それ以降、将棋そのものよりもプロ棋士とは一体どういう人たちなんだろうということに関心があったんです。そんな中でテレビや雑誌などのインタビューで「最近、何をしているんですか」という質問に、「将棋です」と答えていたら、巡り巡って今回のお話をいただきました。羽生先生は今も第一線にいらっしゃって、多くの方が知っていますし、その分、研究材料となる資料がたくさんあったので、役作りとしてはとても助かりました。

──そんな誰もが知る羽生さんを演じることについてプレッシャーはありませんでしたか?

東出 プレッシャーはもちろんありますし、頑張らないといけないというひっ迫感や“追われている感”はずっとあったと思います。ただ、現場に入って初日に、監督から「芝居するな」と言われたんですよ。そこで、なるほどなと思って。僕がする“芝居”なんか超えた作品を作ろうとしているんだなと思いました。

──映画ではおふたりの演技に圧倒されたんですが、演じる時は何を大事にされていたんですか?

松山 村山聖さんは自分とは全く異なる人間なので、いろいろな方向からアプローチしないととてもじゃないけど成立しない、そんな役でした。生前の知り合いの方々が愛情を持って村山さんのことをお話してくださるんですが、皆さん、違うことを言うんですよ(笑)。ユーモラスな部分や、ホテルを何故か偽名で取っていたというミステリアスな部分も含めてそういう部分は埋もれさせたくなかったので、表現に気を付けていました。あのネクタイを着崩している感じも、村山さんご自身がかっこいいと思う“村山聖像”を演じているんですよ。そういうところがすごくかわいい(笑)。病と共に生きていく中でマンガや映画、音楽だけが楽しみだったという状況もあっただろうし、いろいろな感情を殺さなくちゃいけなかったという事情も含めて、そういう個性が出来上がっていったんだと思います。だから森義隆監督と、本屋で店員さんにどういうふうにお金を渡すのかとか、ハードボイルドさが足りないんじゃないかとか、試行錯誤しながらこだわりを持って作っていきました。時々、やりすぎと言われることもありましたけど(笑)。

 

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──村山さんにはそんなチャーミングな一面があったんですね(笑)。

松山 何に対しても自分の感情をそのまま真っ直ぐ向けている一生懸命な村山さんがすごく好きですし、感動した点です。大人になると周囲の意見を汲み取らないといけないし、さまざまなことを学んで、汚れみたいなものがついてきて、それが人の個性になるんだと思いますが、村山さんはほとんど汚れないまま大人になった人というか。だから人間と言うより、“生き物”と言った方がいいのかもしれません。僕らも生き物だから、村山さんを見ていると、論理や世間体に従って自分を矯正していくのがバカバカしく思えてくる。演じていて、ある種の憧れを抱いたし、もっともっと自分の気持ちや人生を大事にしようというふうに感じました。

東出 村山さんは愛おしいし、愛らしいし、儚くもある人だと思いました。僕が現場で忘れないようにしようと思ったのは、棋界の誰しもが村山さんが身体が悪いことを知っている中で、その村山さんが憧れた羽生は絶対的に手を緩めない強さと、誰よりも努力する鬼の面があったと思うので、そこを大事に演じました。映画には感動させようとするシーンなんてなく、お互いに純粋に真剣に勝負しぶつかり合う姿が描かれていて、そこに人は突き動かされるんじゃないかなと思いました。

──東出さんは羽生さんに実際にお会いしたそうですね。

東出 森下卓さんが、「羽生さんは獣だ」「囲碁の世界でもトップ3の人には日常がない、日常が囲碁だから」とおっしゃったことがあったんですけど、それをすごく感じる方でした。羽生さんの掴みどころのなさがお会いしてわかりましたね。

──羽生さんが実際に使われていたメガネを劇中で使用しているとか。

東出 役作りの一環で、羽生さんと同じメガネをかけて生活したいと思ったので、仙台で対局していた羽生さんに会いに行って、当時、羽生さんが使われていたメガネと同じものを作りたいんですというお話をしました。そしたら、次に取材でお会いした時に、家にあったので差し上げますと言ってくださったんです。劇中、村山さんの遺品のネクタイを松山さんがつけていらしたように、村山さんの駒が実際に病院で指されていたものであるように、森監督らしく、ドキュメンタリーのようになっている部分は多くあると思います。